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ムは無駄のム
石川

 先日、都内某所で十数組の歌手を観る機会がありました。その中にゴールデンボンバー(以下「金爆」)というバンドも出演していました。紅白歌合戦で観客全員に白いお面を被せたり、舞台上で頭を丸刈りにしたり、少し過剰なパフォーマンスで知っている人も多いと思います。バンドとはいっても金爆は基本的に楽器を演奏しない「エアバンド」なので、ヴォーカル以外は演奏するふりをしたりや踊ったりするだけ。自分の斜め前に座っている人が「ヴォーカル以外のメンバって無駄じゃん」と言っているのが聞こえました。
 
 その後、大阪難波を本拠地とするアイドルグループが登場すると、「無駄じゃん」の彼は立ち上がり、ペンライトを振って声援を送り始めました。金爆の楽器演奏はふりだけですがヴォーカルは生歌。だけどこのアイドルは口パクです。でも彼にはこのアイドルたちが無駄とは感じられないようでした。
 
 「無駄」という評価は、物事を「役に立つか」「役に立たないか」で判断した時に下されるもの。確かに楽器を演奏しないメンバは「役に立っていない」かもしれません。同様に歌わない歌手も「役に立たない」存在と言えるでしょう。
 
 でも、金爆はヴォーカル以外のメンバのパフォーマンスがあるから、かのアイドルグループも歌を口パクにすることでダンスに集中できるから、どちらも見ていて楽しいのだと思います。
 
 知性がそれほど発達しておらず生きることが最優先目標である生き物にとっては、自身の生存に「役に立つ」ものこそが重要な存在でしょう。栄養を摂取できる獲物、きれいで飲める水、身を守ることができる安全な巣…。
 
 しかし、知性が発達した生き物は、生存に必要のない、一見無駄に見える行動を取ることがあります。イルカたちは、水中でリング状の気泡を出して輪くぐりをしてみたり、クラゲをボールのように扱って仲間と遊んだりするそうですし、カラスがプラスチック製の蓋を使って雪上でソリ遊びをする動画も以前話題になりました。
 
 無駄を楽しむ事こそ高度な知性の証だと思います。ボールを細い棒で打てても、細い板で雪上を滑られても、白黒の石で陣取りができても、音楽に合わせて声が出せても、基本的には役にも立ちません。でも野球やスキーや囲碁や歌うことは、楽しいですよね?
 
 勉強を「こんなの何の役に立つんだ」と疑問に思う人がいます。勉強は役に立ちますよ。でも、もし役に立たなくても構わないじゃないですか。役に立つという理由だけで勉強するのは、動物が生きるために餌を取るのと一緒。人間だからこそ無駄を楽しめるんです。
 
 ただ、最近お腹まわりについてきた無駄な肉は、あまり楽しくありません。なんとか減らさなきゃと思案中。

J-PRESS 2015年 10月号