城西セミナー城西セミナー

ノは能力のノ
石川

 英語は重要か。
 
 国際共用語としての重要性はもちろん、中学生にとっては入試教科のひとつ、高校生にとっても文系理系問わず入試で必要になることが多い教科。
 英語が堪能であれば就職でも有利だったり、いろいろな国の人と自由に意思の疎通ができて便利だ。
 
 読み書き算盤(そろばん)。
 
 自分の親の世代ぐらいだと、算盤が上手に使えたり、暗算が得意だと非常に有利だった。いわゆる事務の仕事などで重用されたらしい。
 でも、今では電卓やコンピュータを使うほうが速いし正確だし、何より安上がりなので、計算が得意な人が仕事で有利ということはあまり無い。
 ここ30年で「計算が得意なこと」の価値は、ほとんど無くなってしまった。
 
 今日のご飯はお肉です。
 
 昔々、狩猟によって日々の糧を得ていた時代、狩りが上手な者はグループ内でも一目置かれただろうし、人望もあったかもしれない。逆にウサギ一匹まともに狩れない者は、周囲から軽蔑されたり、厄介者扱いされただろう。
 今、ウサギを狩れないことが、どれほど不利になるか。少なくとも自分は魚釣り以外で獲物を狩ったことはないし、狩りをしたことがないからといって不利な立場になったこともない。
 
 Google先生。
 
 高校の時、無謀にも音声認識プログラムを作ろうとしたことがある。とりあえずできたのは、「あ」と「い」の声を録音してデジタル化し、マイクに向けて声を発するとデータと照合して、「あ」と「い」を識別するだけというシンプルなもの。
 結果は1音の認識に5分、雑音が入ると認識できず、3回に1回は間違うという散々なものだった。
 現在、スマホの「Google翻訳」アプリなどは、話し言葉をほぼ正確に認識して外国語に翻訳してくれる。翻訳はまだ不完全だけど、ネットワーク上の圧倒的な計算量を背景に、違和感のない自然な翻訳ができる日は、そう遠くないと思う。
 SF作品では、未知の言語もすぐに解析・翻訳して自然に会話できる機械が登場するけど、携帯電話がSFから現実になったのと同様、自動翻訳装置も必ず現実になる。
 
 英語は重要か。
 
 現在は、間違いなく重要。
 でも、リアルタイムで翻訳できる機械が実用化されれば、共用語としての重要性は小さくなる。かつての計算や狩猟のように、「英語ができると昔は重用されたんだよ」という時代が来る。
 そして「母国語を使いこなす能力」こそが重要になる。情報を読み取り、考え、わかりやすく伝える。これは機械任せにできないし、そこまで機械に任せたら人間が存在する意味が無い。
 
 さあ、どんな能力を鍛える?

J-PRESS 2013年 9月号