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機械と私
小野

 テレビなどで、ゴツゴツした機械の映像を見ると今でも思うことがある。
 
 実は以前、機械製作メーカーで機械設計を行っていたことがあるのだ。工場で使う大型の機械を設計するのだが、その心臓部分となる部品は1000分の1mm単位の精度で製作する。当然、設計にも気を使う。なにせ材料も高価なもので作るから、設計ミスで作り直すとなると、材料費も加工費もシャレにならなくなるのだ。
 
 しかし、実はそういう重要な部分こそ、これまでの実績からある程度の設計は出来上がっているので、確認さえしっかり行えばまず失敗はおきない。
 
 それよりも設計していく上でもっと苦しまされるのが、加工業者、組み立て作業員、客先等への配慮である。
 
 たとえば、部品の形状一つ工夫することではるかに加工(部品の製作)がしやすくなる。加工がしやすいということは、コストも下がり、精度も出しやすく、製作時間の短縮にもなる。加工業者への負担が減るので、こちらとの人間関係も良好になり、いざというときには強力な味方になってくれるのだ。
 
 また、組み立て時の効率も考えて設計しなければ、組み立て作業員が残業をするはめになる。なにせプラモデルとは違い、時には1000分の1mmの精度を図りながら、時には数百kgもある鉄の塊を組み合わせなければならない。組み立てが複雑な構造を設計してしまうと、組み立て時間がかかるだけでなく、危険な作業をさせる可能性が高くなってしまうのだ。
 
 客先への要求にもこたえなければならない。最初の打ち合わせにはなかった仕様が追加でくることもある。追加料金をもらったとしても、組み立てに入ってからでは設計変更はほぼ不可能なのだ。だから追加してきそうなことをあらかじめ予測して、それに対応できる設計をしておかなければならない。
 
 そのほか、納入後のメンテナンスも行いやすいものでなければならないし、客先のオペレーター(機械を操作する人)が熟練のプロなのか、パートで雇っている人なのか、それによっても設計を変えていく。
 
 そして、全て設計だけで問題解決することは不可能であるから、各方面との打ち合わせや、難題に関しては事情を説明し、協力を仰がねばならない。そのような意思疎通を積み重ね、いろんなことが可能になるのである。
 
 いわゆるべテラン設計技師とは、こういったことが配慮できて実行できる人なのだと思う。
 
 設計上の技術も日々勉強であるが、それよりもはるかに重要なのが、人間関係なのだとつくづく知らされた。
 
 こうして無事完成した機械は一見、無機質な油まみれの機械なのだが、その姿に、泥臭いほどの人間味を感じてしまうのであった。

J-PRESS 2011年 6月号