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私は「36年間」で考えた
石黒

 半年前、仕事から帰宅すると妻が1通の手紙を渡してくれた。オーストラリアで投函され、表に私の住所・名前、裏に見知らぬ外国人名。「怪しい団体から寄付のお願いだろう!」、今時珍しい手書きの2枚の便箋に目を通す。「アキラさん、お元気ですか? 私はCollin Kwanです、36年前アキラの家にお世話になった者です」。Kwan!?名前はおろか36年前に我家に異邦人が滞在していた記憶も皆無。
 
 手紙は1枚目を読み放置。20年付合ってきた焼酎を携え居間に、テレビのニュースキャスターと対座、1日の出来事を確認。一瞬グラスを持つ手が止まる、「あっ、彼だ!」、急いで手紙の2枚目を。「…お父さん、お母さんはお元気でお過ごしでしょうか? 連れて行ってもらった温泉、合掌造り集落の景色は今でも忘れません…」。父母兄弟、東京・大阪在住の親戚等に世話になりながらの2週間の滞在。
 
 数十回のメールや電話の後、Kwanは36年ぶりの来県を決意、メルボルンを出発し11月某日成田空港に到着。
 
 Kwan夫妻が小松空港到着ロビーで手を振る。「アキラさん、お久しぶりです」、5日間・走行距離700kmの北陸の旅が始まる。宇奈月(トロッコ電車)では黒薙駅で下車、「向こうに見える階段を行けば温泉がありますよ」、駅員が囁く。手摺に掴まり二百余段の階段を経て、秘境の露天風呂を目指す。和倉温泉では波を被りながら岩風呂を満喫、朝霧に浮かぶ能登島や小舟、手が届きそうなカモメの群れ。
 
 我家に2泊、目標は2夕食・2朝食の手作り。Kwan夫妻のリクエストは「何でもいい。できればインド、中華、インドネシアがいいな」、スーパーに出掛け食材を調達。夕食は、(1)チキンマサラ(鶏肉のカレー風煮込み)、(2)エリンギ、チンゲン菜と豚肉の中華炒め、(3)豚ロースの生姜焼き…。朝食は、(1)ナシチャンプル(インドネシア風炒飯)、(2)近所の農家から頂いた新鮮野菜のサラダ…、渾身の手料理が並ぶ。
 
 帰国前夜、夜更けの居間にはKwanと私の2人だけ、手土産の豪州産ワインを開ける。30年前に他界した祖母、父母の思い出を語る。「36年前、アキラのお婆ちゃんとここにあった掘炬燵で毎晩話した」、「お母さんが囲炉裏で煮物を作ってくれた」、「あそこにトイレがあってお風呂は向こうに」、「家の隅のアキラの部屋で、真夜中一緒に語り合った」。溢れる涙を拭おうともせず、「アキラ、本当にありがとう」。
 
 翌朝、彼は昔を偲び古い我家の庭を散策しながら一言、「アキラ、お婆ちゃんやお母さんに似てきた…」。

J-PRESS 2009年 12月号