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アは暴れん坊のア
石川

 2003年4月7日、「暴れん坊将軍」が終わります。
 
 70年代半ば、まだ私が保育園児だったころ、テレビでは毎日のように時代劇が放送されていました。火曜日は「伝七捕物帳」、水曜日は「銭形平次」、日曜日には「水戸黄門」「大岡越前」…。時代劇好きの祖母といっしょに、飽きることなくチャンバラを楽しんでいました。
 
 そんなときです、八代将軍吉宗が暴れ始めたのは。
 
 さすが、将軍様は一味違いました。
 
 それまでの時代劇の主役は、ほとんどが岡引(おかっぴき)や町奉行。悪人を法で裁くのが仕事です。天下の副将軍・水戸光圀公でさえ、悪いやつらを懲らしめるだけで殺したりはしません。
 しかし、暴れん坊は悪人に情け無用。バッタバッタと斬りまくりです。御庭番も加わって、番組の最後には死屍累々。
 典型的な勧善懲悪で、確かに見ていて爽快ですが、小学生にもなると、ふと疑問も感じるようになってきます。
 
 「悪人なら斬ってもよいのだろうか?」
 
 「あったりまえじゃん。悪いやつは成敗されて当然」と思う自分がいる一方で、「正義なら何をしてもよいのかなぁ」と疑問を持つ自分もいます。
 
 同じ疑問は、そのころ放送されていたウルトラマンを見ているときも感じました。
 地球へ来る怪獣にだって、それなりの理由や言い分があるかもしれないのに、問答無用でやっつけちゃっていいの? ウルトラマンは、「正義の味方」というよりも「人間の味方」じゃないか、と。
 もちろん、バルタン星人のように「我々は地球を侵略しにきた」と、自覚を持って悪事をはたらく分かりやすい奴らもいましたけれど。
 
 「絶対的な正義」と「絶対的な悪」。そんなものがあるのなら、悩むことなく「悪人をやっつけろ!」と言えるのでしょうが、人にはそれぞれ自分が信じる正義があるものです。
 自分が正しいと思う行動も、他者にとっては害をなすかもしれません。
 
 日本は、八紘一宇の理想を掲げ周辺諸国に進出しました。
 中国は、チベットに侵略して120万人を殺しました。
 アメリカは、戦争終結を早めるため東京を焦土と化し、2発の原爆を落とし、現在もまたアフガニスタンの地で…。
 正義という言葉が揺らいできている今の世の中では、さすがの暴れん坊も暴れにくくなったのかもしれません。
 
 ただ、最終回だけは雑事を忘れて、25年間暴れてきた吉宗公の暴れっぷりを楽しみたいと思います。

J-PRESS 2003年 4月号