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ユビキタス
石川

 ユビキタスとは、ラテン語で「いたるところに遍在する」という意味。簡単に言えば「どこにでもある」ということ。
 ゼロックス パロアルト研究所*1の研究者が提唱した概念で、「いつでもどこからでも欲しい情報にたどり着ける仕組みとその環境」を表す言葉として、最近よく目にします。
 
 たとえば、街角に流れるBGMが気になり、携帯端末からその曲名を調べ、ついでにCDを注文する。面白そうな番組があると聞き、録画予約をして、録画した番組を友達の家で一緒に楽しむ。家の冷蔵庫の中にどんな食材があったか思い出せず自宅にアクセスすると、卵がきれていたので、卵の安いお店を探して買いに行く。同時に留守電と戸締りとガスの元栓をチェック…
 全ての機器がネットワークにつながり、どこからでも、どの端末からでも好きな情報にアクセスすることができる社会。それがユビキタス。
 これが実現すれば、情報の境界がなくなり、個人の知識量は事実上無限大になります。今の技術の進歩からすれば、そう遠くない将来基本的な仕組みはできあがるでしょう。
 
 しかし、そのためには乗り越えなければならないハードルがいくつかあります。
 ひとつは、モラルの問題。
 いつでも情報にアクセスし、他者とコミュニケーションできることは、確かに素晴らしいことです。しかし、「できる」ことと、「してもいい」こととは違います。国民の2人に1人にまで普及した携帯電話*2により、メールを使えばでいつでも他者とコミュニケーションできる状況は完成しつつあります。だからといって、授業中や仕事中に私用でメールするのは、はたして良いことなのでしょうか?
 それを非難するつもりはありません。授業を聞かずに損するのはその人自身ですし、そういう社員を雇っている会社は自然と淘汰されていくでしょう。
 情報をどのように取り扱い、利用するのか…どうやら、個々人のモラルがより問われる世の中になりそうです。
 
 もうひとつは技術的な問題。
 エネルギー消費量が増加するので、高効率の太陽電池や核融合などの発電技術が必要になります。
 また、現在のバッテリーでは携帯情報端末をそれほど長く動かせません。とはいえ、長い電源ケーブルを引きずって歩くわけにもいきません。
 幸い、カシオ*3をはじめとする企業・大学が優れた電源を開発中ですから、近いうちに解決されるでしょう。
 どんな素晴らしい機器も、それを動かす力が失われれば無意味です。これは、それを扱う人間にも当てはまります。どんなに優れた能力を持った人でも、体力がなく不健康では、その力を発揮することはできません。
 
 どのように技術が発達しても、それを利用するのはわれわれ人間です。情報を正しく扱うモラル、そして体力を身につけて、進化し続ける技術とうまく付き合えば、きっと素敵な世の中にしていけるでしょう。
 
 
*1 www.parc.com
*2 www.tca.or.jp/japan/daisu/yymm/0204matu.html
*3 www.casio.co.jp/release/fuelcell.html

J-PRESS 2002年 6月号