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1000日、高校生
木村

 「今から、中学校3年間でとった最低番数を聞く!」
 「32番」「50…番くらい」「8番か…な」
 (すげぇ、なにそれ。全部オレの最高よりいい。)
 「次、木村、お前は?」
 「ひっ、ひゃくきゅうじゅうろくばん」
 「出ました、196番!」
 私が浪人時代に通っていた、ある学習塾での一幕です。「A高校かB高校以外は行かせない。それからC大学へ…」という、少し古い考え(?)の親の下にいた私は、私立なんてとんでもない、県立高校不合格と同時に浪人が決まりました。とはいえ、近所の同級生がみんな高校生活をスタートさせているときに、学校へも行かず、勉強など手につくわけもなく、バイトで朝刊を配ってはまた眠り、気づいたら夕刊の時間、そんな毎日の繰り返しでした。高校をサボった友だちが「暇やろ、遊びに行こうぜ」といってやってきます。同じ高校を受験した友だちに、高校の様子を聞かせてもらいます。「来年は行きたいな。あと10ヶ月、でも、本当に行けるかな。予備校とか行きたいけど、高いし…」「じゃ、秘密の塾教えてやろうか。そんな高くないよ。ただ、先生、『変』やから、覚悟して行かんなん」「どんな塾、それ?」
 
 高校の頃は、よく感動し、よく泣きました。クラスのみんなは、私が1コ上だと知りながら、そのことには触れずに接してくれます。「じゃ、部活終わったら来るね」、教室では、部活のあとにまた集まって、遅くまでしゃべったり勉強したりします。体育大会のパネル作りが間に合わず、夜遅く、そして朝早く集まって仕上げます。1年3組の応援は優勝し(競技は8位…)、「みんなでとった優勝!」といって喜びます。 バイトがあって部活ができずにいた私を、「そんなこと気にしないで、いっしょに音楽しようよ」といって、音楽部の先輩が誘ってくれます。それから私は、授業のあとに急いで夕刊を配り、学校にもどって部活に参加しました。部のみんなとは、「海行こうよ」「なんか食べに行こう」「花火しよう」「スケート…」「バーベキューしようか」「カラオケに」と、休む間もなく遊びました。
 
 ようやく自分の居場所が見つかった私の高校生活は、朝7時から夕方7時までの12時間でした。もちろん遅刻したこともあれば、遅くまで学校にいたこともあります。家に帰るのが8時ごろ、1時すぎまで予習に追われ、朝は5時半に起こされる…こんな生活が続きました。年に数回の「登校禁止日」を除いて、毎日学校へ行きました。登校禁止日は、年末年始に数日と、8月に一日あったと思います。その日を除き、日曜・祝日もなく登校しました。休日の登校は「勉強のため」が名目ですが、(みなさんの「図書館」と同じで)まともに勉強したのはわずかの時間です。そのほとんどは、みんなとしゃべるか、部室(音楽室)にいるか、とりあえず学校に集まってどこかへ出かけるか…。多くの人の温かさに触れ、毎日がむしゃらに生きていたように思います。

J-PRESS 2000年 7月号