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伍拾六億七阡萬
石川

 あみだくじをひいて、このコラムの担当になりました。
 「はじっこなら大丈夫かも」とか、「意外とまんなかか」などと思いながら「当たりませんように」と祈ってくじをひくのに、なぜか当たってしまいます。
 それならと「当たりますように」と祈って宝くじを買うと、当たりません。
 ああ、この世に神も仏もないのでしょうか。
 
 あみだくじは元々阿弥陀如来の後光(光輪)の形からあみだくじと呼ばれるようになったわけですから、くじ運が悪い私は、阿弥陀さまのバチがあたったのかもしれません。
 仏教には阿弥陀如来だけでなく、たくさんの仏様がおられますから、一人くらいは、くじ運の悪い私も救ってくださる仏様がいそうなものです。
 
 人々を救う仏様といえば、弥勒菩薩。弥勒菩薩は全ての人を救ってくださるありがたい仏さまで、それなら私も救われて、くじ運も良くなり、身長も伸び、ぜい肉は減って幸せいっぱいかと思えば、弥勒菩薩がこの世に現れるのは56億7千万年後。さすがにそんなに長生きはできそうにありません。だいたい56億7千万年ってなんでしょう。いくら仏様とはいえ、スケールがでかすぎます。
 
 そもそも仏教というのはスケールがでかいというか、おおらかというか、キリスト教やイスラム教などに比べて結構いいかげんなところがあります。
 キリスト教は毎週日曜に教会へ行く風習がありますし、イスラム教にいたっては、1日5回決まった時間に、世界のどこにいてもメッカ(イスラムの聖地)の方向へ祈りをささげなくてはなりません。もちろん仕事中だろうが何だろうがお構いなし。
 それに対し仏教(少なくとも我が家の場合)は、お盆やお彼岸にお墓参りをし、毎月の命日の供養と何年かに一度の法事だけで、基本的にご先祖様への供養ばかりです。仏様に対して何かするというのは、ほとんど無いのではないでしょうか。しかも、そんな私たちを分け隔てなく救ってくださる仏様(ただし56億7千万年後)。なんて心の広い、おおらかな宗教でしょう。私のようにおおざっぱな性格の人間にはぴったりです。そもそも初詣には神社に行き、葬式は寺で行い、クリスマスには教会のミサに顔を出し、宗教のごった煮状態を自然に受け入れている大部分の日本人には、これぐらいおおらかな信仰がちょうど良いのかもしれません。
 
 世紀末だ何だと騒がれる今日この頃ですが、このおおらかさがあれば、それこそ56億7千万年だろうと100億年だろうと、大丈夫な気がします。
 このおおらかな国に生まれた幸せをかみしめながら、今年平成11年がみんなにとって良き年であることを祈って、
 
あけまして、おめでとうございます

J-PRESS 1999年 1月号